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2012年01月05日

ヒップホップ

エルフィンのブログ掲載した内容だけど、そっちでは、リンクがつけてあるのに、色分けがないから分かんないの。
で、こっちにも載せてみることにしました。


音楽のうんちくコーナー
ヒップホップ(hip hop)の巻</span>
DJアフリカ・バンバータが名付け親
アフロ・アメリカン文化を「とべ!とべ!」って励ます



「ヒップホップ(hip hop)」とは、正確には1970年代のニューヨーク・ブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系住民たちの中から生まれた文化のことを指しています。で、音楽のヒップホップは、ラップとも呼ばれていてヒップホップ文化の一部というわけです。
「ヒップホップ」の”名付けの親”は、ミュージシャンでDJのアフリカ・バンバータ(上写真左)。
「アフロ・アメリカンが、文化(音楽、ファッション、アート)を取り入れ、新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップ(hipもhopも弾ける、躍動するという意味)と名付けたといわれます。
アフリカ・バンバータは、エレクトロファンク(英: Electro; electro-funk もしくは electro-boogie の略称)の創始者。またヒップホップにおいてクール・ハーク(上写真右)、グランドマスター・フラッシュ(写真下)と並んで、ヒップホップの創始に関わった3大DJの一人です。
この中でグランドマスター・フラッシュは、「Adventures on the Wheels of Steel」において、レコード盤をガリガリ言わせながら演奏するスクラッチの手法を初めて発表したことで有名です。実はスクラッチを発明したのはグランドウィザード・セオドア(Grandwizard Theodore)と言われています。
アフリカ・バンバータは、ヒップホップ文化について①DJ②ブレイクダンス③グラフィティ④ラップーーが最も大切な4要素と主張しました。この中で「グラフィティー」というのは地下鉄のガードや道路の壁など、あちこちに書かれた落書きのようなアートのこと。今では日本でもすっかりおなじみ。④番目の「ラップ」が「ヒップホップ」の音楽のことですね。

ラッパーがMCと呼ばれるのは

「ラップ(rap)」とは、音楽手法、歌唱法のひとつ。小節の終わりなどで韻を踏みながら、あまりメロディを付けずに、リズミカルに、喋るように、歌う方法。MCingと呼ばれることもあります。

ラップをする人のことをラッパー(rapper)っていいますが、MCとも呼ばれます。
なんで、MC(エムシー)とも言うのかというと、ヒップホップが始まった頃に、MC、つまり司会者はDJのプレイの盛り立て役でもあったので、曲と曲の変わり目や機材トラブルの時に、ラップでフロアーを盛り上げでたようです。そのなごりっていってもいいのかな。
ラップは言葉遊びにも似ているので、だから当初は、ヒップホップ文化の中でさえも一時的な流行と思われてたんだって。それが大化けして世界に受け入れられているのね。

ルーツはやはりアフリカ、在米アフリカ人か
このようなヒップホップ音楽のルーツについては、初期のラッパーたちは全く独自に作り上げたと言う人が多いのですが、例えば、
①アフリカ文化に見られる「グリオ」という音楽
②1960年代から詩を朗読するスタイルのミュージシャンたち、つまり「ラスト・ポエッツ」「ギル・スコット=ヘロン」のような人たち
③ニューヨーク・ブロンクス区のような街中で、よく聞かれた「ダズンズ」と呼ばれるような言葉遊び
④ジャマイカの「ダンスホールレゲエ」
ーーなどが影響しているとも言われています。
つまり、西アフリカの文化とアフリカ系アメリカ人の音楽ということなんですねえ^^。

オールドスクール時代 (1970年代初め - 1986年)
サンプラーが”生みの親”?
オールドスクール時代は、70年代初めのニューヨークでクール・ハークなど、ブレイクビート*をプレイするDJの出現とともに始まったオールドスクール時代には、例えばシュガーヒル・ギャングのように、ディスコミュージック、ソウル、ファンクの音源をしばしばサンプリングした。
しかし多くはドラムマシンとブレイクのみでトラックが作られた。
(*ブレイクビートとは、サンプラー等を使って、既存のリズムを分解した上で再構築したものです。その元祖はヒップホップですが、最近では、テクノの分野でブレイクビートを取り入れたものが非常に注目されています。その中には、ビッグビートという呼ばれ方をされるものもあります)
ファットバック・バンドの「King Tim III (Personality Jock)」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」などを皮切りに、ラップは次第に人々の人気を集め始めました。80年代には、カーティス・ブロウが清涼飲料のスプライトのCMにも出演したりするようにもなりました。

ゴールデンエイジ・ヒップホップ (1986 – 1993)
続々とヒットが生まれた
ニューヨークが舞台の中心となったゴールデンエイジ・ヒップホップの時代は86年のRun D.M.C.1986年のアルバム「レイジング・ヘル」の人気から始まり、88年には、DJジャジー&フレッシュ・プリンス(現在のウィル・スミス)がラップで初のグラミー賞を受賞しました(http://www.youtube.com/watch?v=nq0LOlcDp-Q)。
その後の93年以降は、ヒップホップのサブジャンルの一つのGファンク(http://www.youtube.com/watch?v=ddxZX6loieo)が人気を集め始めるようになったり、ランD.M.C.が、ハードロックバンドのエアロスミスとコラボレーションした曲「Walk This Way」が大ヒット。この曲はMTVでもヘビーローテーションとなって、米国のトップ5(ビルボード)になった最初のヒップホップといわれています。
また、サンプリングを取り入れた曲が発表されるようになったりして、さらにヒップホップ、ラップ音楽は発展していきました。  


Posted by Aki at 22:24Comments(0)